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夏:肉類ア・ラ・カルト

動物を食べていた縄文人

動物を食べていた縄文人

紀元前1万年。気候の温暖化で、地上は豊かな自然に恵まれました。針葉樹の森は広葉樹へと替わり、木の実を食べるシカやイノシシなどの動物も増えました。縄文時代のゴミ捨て場だった貝塚からは、魚介類や様々な獣の骨が発見されていて、縄文人が数多くの動物を食糧にしていたことが分かります。

弥生時代(紀元前300年~300年頃)になると、水稲や畑作農業が盛んに行われ、中国から持ち込まれた馬や牛が労働力として飼育されるようになりました。大和時代の後期(5世紀中頃)から飛鳥時代(538年~710年)にかけては、朝鮮半島を中心に大陸から日本へとやって来る渡来人も増え、さまざまな技術とともに仏教が日本に持ちこまれました。

朝廷によって仏教が国教に制定され、殺生を禁じる教えに従い、動物の肉を食べる食肉禁止令も出されました。その後もしばしば禁止令が出され、仏教の思想が全国へと広がっていった結果、肉食の習慣も次第に弱まっていきました。しかし、もちろん魚は食べていましたし、キジなどの鳥も一般に食べられていたようです。

狩りをしていた武士たち

1192年、源頼朝が鎌倉に幕府をおこし武家政治が始まりました。禅宗の影響で、魚も肉も使わない精進料理も広まります。それ以降、獣の肉を食べることは下品なことという風潮が広がりました。武士の食生活は質素倹約を旨とした簡素なものでしたが、戦いへの鋭気を養うためには鳥などを狩って食べていたようです。

1500年代に入り、ポルトガルやスペインからやってきた人々によって、日本に新しい食肉の文化が持ち込まれました。しかしその後キリスト教が禁止され、鎖国政策がとられていくと、肉食を中心とする南蛮料理がそれ以上広まることはありませんでした。

文明開化と肉食革命

明治時代に入り、ついに日本人の食肉の歴史に大きな変化が訪れました。西洋型の近代国家建設を目指した明治政府の思惑もあり、長い間続いてきた肉食禁止の制度も終わりました。

街にはすきやきの原型となる「牛鍋」の店が目立ち始め、「牛肉を食べない者は文明人にあらず」といった風潮に時代は一変したのです。政府は、肉食推奨策として官営牧場や畜産会社を設立。日本各地でもブランド牛を始め、肉牛の飼育が始まりましたが、それでも牛肉は不足し、それを補うためもあって豚や鶏の生産も増加していきました。

現代~食肉文化の定着

戦後、日本人の食卓もまた画期的な時代を迎えました。昭和30年には牛肉、豚肉、鶏肉を合わせて、年間平均一人当たり2.4kgだった食肉消費量は、昭和37年には12.8kg、その後も時代とともに増加して、昭和60年代には遂に28kgと30年間でなんと10倍以上にも増えています。

そこから現在に至るまで、私たちの食生活と食の環境はさらに変化してきました。ファミリーレストラン、ファーストフード、外食産業の発展は食肉の消費量をさらに押し上げ、現在私たちは一人当たり年間40kg以上もの肉を食べています。しかし、次のグラフを見て驚きませんか。この年間40kgという数字は、世界の先進主要国と比べれば、決して大きい数字ではありません。食の文化は、一朝一夕には変わらないものなのですね。