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宮城の旬の食材

宮城県の旬の食材
秋:米

米の歴史

米の起源と種類

アジアに限らず、アフリカやアメリカ、オーストラリアなど世界中で広く行われている稲作。その土地の気候によって、同じ稲作でも様々な形態があります。日本でもみられる「陸稲(りくとう)」のように、水田ではなく畑で作られる種類や、険しい山岳地帯の焼畑で作られるもの、水中に長く茎を伸ばして育つ「浮稲(うきいね)」などがあります。

稲作の起源については、インド、中国雲南省、中国南部など諸説ありますが、最近では、中国・折江省の河母渡(かほと)遺跡から、約7,000年以上前のものとみられる大量の籾(もみ)や鋤(すき)が発掘されていることから、揚子江の中・下流域の一帯とする説が有力となってきました。


食用米を大きく分類すると、粒が細長くねばりの少ないインディカ種と、私たちが普段食べているジャポニカ種、その中間タイプのジャバニカ種に分かれます。

日本や朝鮮半島、中国東北部などで作られているのはジャポニカ種。主にインドや東南アジアを中心に作られているのは、高温の環境を好むインディカ種。ジャバニカ種は、ブラジル、イタリア、スペイン、アフリカの一部などで作られています。

日本への伝播と稲作の始まり

大陸から朝鮮半島を経由し、日本の九州地方に米がもたらされたのは、今から2,500年から3,000年程前の縄文時代後期と考えられています。狩猟・採集で食糧を得ていた縄文人のライフスタイルは、稲作のおかげで一変しました。弥生時代に鉄が伝わり、鍬(くわ)や鋤(すき)といった農耕具が発達すると、稲作の範囲も急速に拡がっていきました。

稲作によって、人々は一カ所に定住し、共同作業をするようになりました。その中で身分の上下も生まれ、他集落との抗争なども起きるようになり、古代国家へと発展していきました。以来、米は生活と経済の基本となり、時には富と権力の象徴として政治にも大きく関わってきたのです。

「宮城」と米

おいしい米の産地として、全国的に有名な宮城県。そのルーツをたどると、藩祖・伊達政宗の大規模な米作の拡大政策にたどりつきます。仙台藩を江戸の食糧基地にしようと考えた政宗は、河川の改修や治水工事、開墾、収穫した米の集積、江戸への輸送など、あらゆる面に大きな力を注ぎました。その結果、日本でも有数の米どころとして、全国にその名を知らしめることになったのです。

一方、東北地方は冷害による不作にも苦しめられてきました。宮城も例外ではありません。戦前の東北地方は、全国でも極めて収穫量の少ない地方で、むしろ稲作には適さない土地とまでいわれていたのです。しかし研究につぐ研究の結果、冷害や病害虫に強い待望の品種が生まれました。それが新品種「東北54号」でした。その後もさらなる改良が重ねられ、現在のおいしい宮城米が生まれたのです。


ササニシキ◆ササニシキ
昭和38年、「ハツニシキ」と宮城米の元祖「ササシグレ」から生まれた品種。収穫量の多さと味のよさで高い評価を受け、宮城といえば「ササニシキ」と言われるまでになりました。


ささろまん◆ささろまん
平成7年に誕生した品種。病気に対する強さを持っているので、減農薬栽培が可能となりました。「ササニシキ」の美味しさを受け継いでいます。


ひとめぼれ◆ひとめぼれ
平成3年、「コシヒカリ」と「初星」から生まれ、一躍人気の的となりました。冷害にも強く、香りと食感がよいところから、今や宮城米の代表格とされています。